大判例

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名古屋高等裁判所 昭和52年(く)15号 決定

少年 N・I(昭三五・一〇・一三生)

主文

原決定を取り消す。

本件を名古屋家庭裁判所に差し戻す。

理由

本件抗告の趣意は、少年名義の抗告申立書に記載されているとおりであるから、ここにこれを引用するが、その要旨は、原決定の処分が著しく不当である、というに帰着する。

所論にかんがみ、本件保護事件記録及び少年調査記録を精査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して、原決定の処分の当否について案ずるに、本件非行事実は、少年がいまだ中学三年に在学中の昭和五一年二月八日及び同年三月七日の二回に亘つて学校友達の少年らと共謀のうえ、法律で禁止されているシンナーをビニール袋に入れてみだりに吸入したという毒物及び劇物取締法三条の三違反の非行二件のみであつて、比較的軽微な事犯ではあるが、少年は、同年三月中学校を卒業して、名古屋市内の寿司店に寿司職人の見習として就職したものの永続きせず、同年七月初め頃離職し、その間前記非行により同年六月三日原裁判所において家庭裁判所調査官の試験観察に付され、その指導監督を受けるに至つたが、勤労意欲に欠け、職を転々と変え、日常の生活態度に真摯さを欠き、また、些細なことで母親に向つて乱暴を働くなどし、少年にやや不良化の傾向が看取されたことなどを考慮すると、少年を中等少年院へ送致することとした原決定の意図もこれを理解し得ないでもないが、他方、少年には、前記非行を除いて他に特段の非行がなく、また、当審における事実取調べの結果に徴しても、少年に、原決定が指摘する精神病罹患の形跡は認められず、少年が原決定を契機にようやく自己の過去を反省悔悟し、現在更生の意欲を示しているのに加え、少年の母親においても少年の指導監督にかなり積極的な熱意を示しており、同女に保護能力が全くないとも認められないことなどをかれこれ考え合わせると、少年に対し、本件のごとき比較的軽微な、しかも約一年前の非行を契機として、いま直ちに短期処遇課程とはいえ、収容保護に踏み切るのは、いささか苛酷に過ぎ不当であるとの感は免れず、むしろ、母親の指導監督に加え、保護観察所の観察のもとで少年に自力更生を図らせるのが妥当な措置であると認められるから、少年を中等少年院へ送致する旨の処分をした原決定は、結局著しく不当であるといわざるを得ない。論旨は理由がある。

よつて、本件抗告は理由があるから、少年法三三条二項に則り、原決定を取り消したうえ、本件を原裁判所に差し戻すこととして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 藤本忠雄 裁判官 服部正明 川瀬勝一)

少年N・I作成の抗告申立書

なぜもう一度審判をやりなおしてほしいかというとこの前の18日におこなつた審判の時は、仕事もさがしていました。それから、お母さんとやくそくまでしました。その仕事をさがして来たという場所は港区の方です。ここの会社の人ともやくそくをしました。それでぼくは、住みこみでやらしていただきますと言つて、その会社の人はとても住み込みで仕事をやるのはとてもえらいよといいました。それで、ぼくは、会社の人に言いました。えらくてもいいです。そこでまたおかあさんに言いました。ここの会社で、ぜつたいにまじめにやつてお母さんこうこうするからねと、やくそくしました。

それから、お母さんも言いました。N・Iここの会社でぜつたいにまじめにやらなくては、だめだぞといいました。そのお母さんのいつた時の顔は、なきそうな顔で、いいました。その時のお母さんの顔と、あの心配した言いかたと、なきそうな顔を見てぼくは、思いました。ぜつたいに、やるぜつたいにぼくが、やらなきやだれが、やるんだとぼくは、自分の心へいいきかせました。それで何回でもいいますが、お母さんにもう一度、あやまります。今までは、シンナー遊びやお母さんをなぐたり、けつして、にどと、わるいことはしません。おなじことをくりかえすようなこともしません。これからは、本当にまじめにやつていきて行きます。それから、23日に鑑別所から出てからもお母さんとやくそくをしました。いままで心配をかけてごめんなさい。こんどからは、ぜつたいに、まじめにやりますといつて、仕事をさがしに行きました。それでその会社二日で、やめてしまいました。それからかてい審判所へよばれました。それで、その見つかつた、仕事の所でまじめにやつとるかときかれたらなにもいえませんでした。それでかてい審判の人はしつていました。おまえは、まじめにやれん男だなあといわれました。それで、18日には審判がありそれまでには、かならず仕事を見つけておかなければ、少年院の方へおくるといいそれで家に帰えりまたお母さんと、話をして、こんどこそは、ぜつたいにやるとお母さんに、おもいきつて、港区の方の会社ばつかりあるところへいきました。それも職業安定所の方の自分でしらべてきめたところです。ぜつたいに、こうかいはないところだときめた所でした。それで、お母さんも、すこし安心したような顔をして、明日は、かていさい判所へ行かなきやだめだよといいました。それで、18日が来て、かていさいばん所の方へいきました。それですぐに、審判がはじめられました。それでいろいろ注意されました。それで少年院の方へ行けといわれました。それで○○さんからきいていたことは仕事をさがしたら、とに行けといわれた時は、びつくりしました。その時からは、本当に心をいれかえていました。その時だけではありません。その仕事をさがしてから、いろいろと反せいしました。それからもう一度、お母さんに、あやまつておきます。今までは、本当に心配やめいわくをかけてきてどうもすいませんでした。これからは、ぜつたいにお母さんこうこうして、仕事にいしようけんめいやります。本当にお母さんどうもすいませんでした。小学校二年生の時お父さんが、死んでから、今までそだててきたかんしやもしなくてどうもすいませんでした。これからは、本当の人間らしくもつとも男らしく仕事をやつて行きます。今までは、本当にめいわくをかけてきて、みなさんどうもすいませんでした。だからもう一度審判をして下さい。おねがいいたします。

原審決定(名古屋家 昭五一少一四一一号、同二三二八号 昭五二・三・一八決定)

主文

少年を中等少年院へ送致する。

理由

(非行事実)

昭和五一年四月二三日付及び昭和五一年六月二五日付司法警察員作成の各少年事件送致書記載の犯罪事実のとおりであるからこれをここに引用する。

(適条)

上記に同じ

(処遇関係)

少年は上記非行(以下本件非行という)により、昭和五一年六月三日当庁において、試験観察の処分を受け、同日以降調査官の指導監督を受けることとなつたが、試験観察経過報告書に記載のとおり少年の怠惰な生活は一向に改らず、その間の生活は、転職(極端な場合は一日稼働しただけで退めている)、怠業(仕事についてもいわゆるずる休みが多い)、家出、家にいる時にはテレビを見て、寝ているという状態であつた。また、この間深夜仕事の疲れで寝ている母親を蹴つて起こし夜食を作らせるという暴挙もあつた。

そこで、昭和五二年一月三一日当庁は少年を呼び出し、直ちに審判を開いた結果、観護措置をとることとした。その結果である鑑別結果通知書によれば、少年の能力は普通域にあるが、考え方が自己中心的で幼稚であること、母一人・子一人の家庭環境の影響が大きかつたこと、したがつて委託先等を通じて在宅補導が適切である旨の判断が示されたので、その結果を尊重して昭和五二年二月二三日観護措置の決定を取り消し、約一か月の期間を猶予し仕事を探してくるよう指示した。

ところが、少年は昭和五二年三月一八日に出頭するも、仕事を見つけることはせず、無為徒食の毎日であつたことが判明し、その上、家でテレビを観覧中、テレビがうるさい、自分の悪口を言つているとして、茶わんを窓ガラスに向つて投げ、茶びんをテレビに投げつける行為に及んでいたことも判明した。かかる行為は奇行を通り越して、少年の精神状態の異常を感じさせるものである。

以上によれば、少年の抱える問題点は、まず第一に勤労意欲の欠如であり、第二は精神病の疑いである。その他親子関係の調整も残されるが、以上の二点を中心に短期課程において集中的に指導監督することが必要である。

よつて少年法第二四条第一項第三号、少年審判規則第三七条第一項を適用して主文のとおり決定する。

昭和五一年六月二五日付送致書記載分

一 審判に付すべき事由

(一) 被疑者N・I同A

被疑者両名は共謀の上、昭和五一年三月七日午後一時ごろ、名古屋市○区○○町×丁目×番地○○神社裏草むらにおいて、幻覚の作用を有するシンナーをビニール袋に入れみだりに吸入したものである。

昭和五一年四月二三日付送致書記載分

一 審判に付すべき事由

被疑少年N・I同A同Bは共謀のうえ昭和五一年二月八日午後四時三十分ころ愛知県大府市○○町×丁目××番地大府市立○○小学校裏側空地において酢酸エチル・トルエン、を含有するシンナーをビニール袋に入れてそれぞれ顔面に当てみだりに吸入していたものである。

参考三 受差戻審決定(名古屋家 昭五二少一三九三号 昭五二・四・三〇決定)

主文

少年を名古屋保護観察所の保護観察に付する。

理由

(非行事実)

少年は、

一 昭和五一年二月八日午後四時三〇分ころ愛知県大府市○○町×丁目××番地大府市立○○小学校裏側空地において酢酸エチル・トルエンを含有するシンナーをビニール袋に入れてみだりに吸入し、

二 同年三月七日午後一時ころ名古屋市○区○○町×丁目××番地○○神社裏草むらにおいて酢酸エチル・トルエンを含有するシンナーをビニール袋に入れてみだりに吸入したものである。

(適用法条)

一・二の事実はいずれも毒物及び劇物取締法第三条の三、第二四条の四に各該当する。

(保護観察に付する事由)

一 原審判までの経過

少年は中学二年の昭和四九年一〇月一二日夜遊び、昭和五〇年三月二日シンナー吸入、中学三年となつた同年四月一四日シンナー吸入、同年七月一七日シンナー吸入の各補導歴を有し、本件二件のシンナー吸入を入れると五回に亘るシンナー吸入を警察官に現認されている。(昭和五一年五月一四日司法警察員作成の身上調査書による。)少年はその他にも三回シンナー吸入で補導され計八回になると当審判廷で供述している。少年はシンナーによつて空飛ぶような気分になつたり、気分がゆつたりするなどの快体験を得ており、単純遊び型からやや精神的依存状態にあつたことが認められる。

少年は昭和五一年六月三日上記一の非行によつて在宅試験観察に付され遵守事項として、一真面目に働らき転退職をしない、二シンナーを吸わない、三外泊をしない、四不良交友をしないことが定められ、調査官の指導を受けていたが、その後シンナー吸入の非行によつて補導されることはなかつたが、その余の遵守事項は守られず、職業には定着せず、好んで入つた寿司屋は同年七月三日再雇傭一ヶ月で上司の態度に我慢ができないという理由で辞め、鉄工所に入つたが一日で辞め、その後半月以上友人宅に泊つたりして家に帰らず調査官の勧告に拘らず三ヶ月間徒遊生活を続け、同年一〇月一二日母の知人の世話で冷暖房設備の会社に住込み就職したが、数日で勤務成績不良のために断られて失職し、以後再び徒遊生活を続けていた。通常は自宅で昼まで寝ていて、日中は家で内職する母の側でテレビを観て過し、夜間は友人と外出したり、時に外泊する。小遣は母に貰い、拒まれたり、注意をされると母に乱暴を働くなど怠惰且つ気侭な生活を続けこうした母の訴えに基き昭和五二年一月三一日観護措置がとられた。同年二月二三日観護措置決定取消となり在宅試験観察が続けられたが依然として徒遊を続け、同年三月始には額生えぎわ及び眉毛をチンピラ風にそり込むなどしている。その頃プラスチック加工の仕事についたが人との接触がうまく出来ないということで二日間で辞めてしまい、その頃特に理由もないのに大声をあげ、窓ガラスに茶碗を投げつけてこわし、又テレビに茶びんを投げてこわすことがあり、誰かが自分の悪口をいつているなど妄想、幻覚のある様なことを述べていた。こうした中で、同年三月一八日中等少年院送致(短期処遇過程勧告)となつた。

二 資質、家庭環境

鑑別結果通知書によると知能は普通(IQ九四)で狭義の知的能力に問題はないが、考え方は幼稚で自己中心的であり、綜合的な判断力や理解力の乏しさが指摘されている。性格は未熟で、耐性や感情、欲求の統制力が弱く、主体的、積極的に社会に適応しようとする意欲に欠け全体に無気力で困難からは逃避し、専ら身近な肉親である母に甘え依存している。その甘えが拒否されたと感じると怒り狂い、乱暴を働らく幼児的な衝動性がある。

家庭的には八歳時に父と死別し、父の年金と母の内職によつて生計を維持し、母一人子一人の閉鎖社会の中で盲愛されて成長し、上記のような性格が形成され或は助長されたといえる。母は真面目な地味な人柄であり、温和であるが、指導力は不充分で少年が長じて現在の様な状態にあることに当惑し、なすすべを知らない様子で、今回少年院を出て来た少年を迎えるにあたつても将来の不安と困惑を隠し切れないでいる。

三 処遇上の問題点

こうした少年の処遇については、短期間でも家庭から離し、規則正しい生活訓練職業訓練を行うことが必要であり、専門家による指導のもとに集団生活を通して対人接触や開かれた場への適応を身につけさせ又心的転機を計ることが望ましいと考えられる。唯少年の非行性は反社会的なものというより非社会的なものであり、シンナー吸入の問題だけを見れば、試験観察下にあつたとはいえ一応一年前に終つている様に見え、しかもこの毒物及び劇物取締法違反の行為は罰則としては最高刑でも罰金三〇〇〇〇円であるところに身柄の強制的収容を伴う少年院送致が酷であると考えられる余地がある。

四 少年院における処遇の状態

少年は豊ケ岡農工学院に収容されたが、同少年院は昭和五〇年五月から、四ヶ月の短期処遇課程の少年院として運用され、生活訓練、道徳指導、進路指導、心身の練成を重点教育目標とし、開放的な処遇の中で自主性の芽生えをはかる方向が取られそれなりの効果を挙げている。

少年は同年三月一八日から四月三〇日まで在院したが入院後一ヶ月間はオリエンテーション課程で、この期間中は安らぎと親和感を与え、過去への決別と新たな自己実現への飛躍がなされようとする準備期として静的、個別的処遇が基調とされ、少年は三月一八日から四月二日まで考査期間で、内観その他が行われ、母への態度についての洞察ができるようになり、徒遊、シンナー吸入についても反省ができるようになつた。四月三日から予科編入となり、そこでの努力目標は一我慢強く最後まで頑張ること、二何でも一生けん命にやる、三何事も自分から進んで自発的積極的に行動する、四計算の力と漢字の力を高めることとされ、一については、主として体育の面でその目標が強く要請され、少年は学校時代転落した腰痛があるが、我慢して頑張り、それが生活態度によい影響を与えていた。二については、小人数の寮舎のため役割活動をし責任分担も多く、集中してやらねばならなかつたが能力があるのでやつていた。しかし、内面的な集中力はこれからとして残されていた。三については積極的、自発的に行動することの意識は前向きになつたが、判断力が乏しいため行動は不充分であつた。四については学力の劣りを認識し、本人なりによく努力し、教官にも質問出来るが向上はおそいという状態であつたなど、短期間ながらそれなりの効果を挙げつつあつたと認められる。

五 再度の審判について

少年は入院後三月二四日抗告申立を行い、四月一八日名古屋高等裁判所の事実取調を受け、同日二八日原決定取消、名古屋家庭裁判所差戻しとなり、同月三〇日少年院から少年の送致を受け本審判を行つた。その際少年は既に少年院の生活に適応して居り、少年は「少年院の生活には厳しさがあつたので四ヶ月も入院していたら、その後は社会に出てもしつかりやつて行ける自信がもてると思つた。」と供述していた。

少年が入院前に行つた眉毛や額のそり込みは末だ伸び切つて居らず、態度のぎこちなさと共にやや異様な感じを与えるところがあり、思考に柔軟性を欠き、つまずき易い性格を考えると、就職の見通しもなく社会に出ることについてはやや不安が感じられないではないが、今回の収容によつて少くとも母への態度には転換ができたと考えられること、多少外部への目が開かれ、自助の精神も生れつつあると認められるので、保護観察に付し、今後は保護観察官、保護司の指導の許にこれらを更に強化し、入院中の諸目標の達成を挫折することなく場面を変えて社会生活の中で持続させ、少年の社会適応を計ることが必要であると思料する。

よつて少年法第二四条第一項第一号、少年審判規則第三七条第一項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 土井博子)

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